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大宮小学校創立100周年記念 HOME > おおみや 沿革史

おおみや 沿革史

おおみや沿革史 ~平成期~・2014年3月 8日

1990年(平成2年)        薬師山に「西賀茂児童館」が開設。

1991年(平成3年)        市バス 西賀茂車庫 東部の賀茂川に「西賀茂橋」 架設。

1993年(平成5年)9月      育成学級開設。受水槽改築。

                     体育館(第3代目:鉄筋コンクリート造)新築。正門が現在の場所へ移転し、庭が完成。

1994年(平成6年)8月      運動場を全面改修し、手洗い場を設置。

                     大宮ランドが完成し、木造アスレチック遊具が整備。

1995年(平成7年)1月17日  阪神・淡路大震災。

                     大宮レインボーロード(第3校舎・第4校舎間)完成。パソコン7台設置。

1996年(平成8年)8月     第4校舎(鉄筋コンクリート造3階建)西階段・廊下・ランチルーム床改修。

                     運動場防球ネット新設。

1997年(平成9年)        創立80周年記念式典を挙行。記念誌「おおみやっこ」を発刊。

1998年(平成10年)       第3校舎1階に「ふれあいサロン」を開設。

1999年(平成11年)12月31日 ミレニアム記念事業として、五山送り火 点火。

2004年(平成16年)10月23日 時代祭 参列・奉仕。(延暦文官参朝列・平安講社第1社)

2005年(平成17年)8月    文化振興会主催の夏祭り会場が、「鹿ノ下公園」から小学校運動場へ変更。

2006年(平成18年)       小学校冷房化事業(全教室にエアコン設置)

2007年(平成19年)3月    第2校舎・第4校舎 耐震補強工事完成。

2008年(平成20年)       創立90周年記念 航空写真撮影。

2010年(平成22年)      児童数が、800名を下回る。

2011年(平成23年)3月11日 東日本大震災

2012年(平成24年)      大宮小学校創立100周年記念事業実行委員会が組織。

2014年(平成26年)11月16日 大宮小学校北東部の敷地一角に「大宮会館」が開設。

おおみや沿革史 ~昭和 後半期~

1947年(昭和22年)3月31日 教育基本法・学校教育法が公布。現在の6・3・3・4制となる。

 ※トピックス 教科書の黒塗りが始まる。

『京都市立大宮小学校』

1947年(昭和22年)4月1日  「京都市立大宮小学校」と改称。 この頃から学校給食がはじまる。

1955年(昭和30年)       上京区から分離し、京都市北区となる。

1960年(昭和36年)       第一期大宮土地区画整理事業(対象:小学校南側道路から南地域)が始まる。

                     「大宮交通公園」「西賀茂公園(通称おさら公園)、同プール」設置。後に昭和44年終了解散。

                     京都ゴルフ場 船山コース 開設。

1966年(昭和41年)4月     各教室にテレビを設置。

1967年(昭和42年)       大宮小学校 創立50周年記念 記念式典挙行。50周年記念冊子「大宮50年誌」発行。

1968年(昭和43年)       鉄筋コンクリート造2階建 (第2校舎)校舎4教室 新築。

1969年(昭和44年)       第二期西賀茂土地区画整理事業(対象:小学校を含む北地域)が始まる。

                     旧プール(初代)を取り壊し。

                     学校用地(現在の第3、第4校舎付近)として北側水路(道路)までの土地約6275㎡を拡張。

                     プレハブ教室を建設。

                     児童数は、353名。

                     以後、昭和54年校区変更までの間、年100人を超すペースで生徒数が増加する。

                     「大宮交通公園」開園。(大宮区画整理事業の公園用地として、京都市が整備。)

1970年(昭和45年)       第2校舎(鉄筋コンクリート造2階建)に4教室 増築。

                     山崎正義氏作 像「ちから」除幕式。その後、昭和54年ブロンズ造「ちからの像」となる。

                     市バス 上堀川営業所を廃止し、京都市営バス西賀茂営業所を開設。

                     大宮開町に「北ボウル(ボウリング場)」が開設。その後、 年閉鎖。

1971年(昭和46年)       児童数が、600名を超える。

1972年(昭和47年)       鉄筋コンクリート造3階建(第3校舎)校舎9教室 新築。

                     木造2校舎を取り壊し、運動場にする。

1973年(昭和48年)       第3校舎(鉄筋コンクリート造3階建)に6教室 増築。

                     小学校敷地の北東部に「大宮保育園」ができる。

                     氷室分校が児童1名となり、本校への通学となる。

1974年(昭和49年)       西賀茂会館 開設。

1975年(昭和50年)       大小(第2代目)プール開設。(尚、小プールの建設費は地元負担。)

                     鉄筋コンクリート造3階建(第4校舎)校舎6教室 新築。

 ※トピックス 小プールは、現在の職員室と体育館との間付近にありました。

1976年(昭和51年)       給食調理室改築。

                     児童数が、1110名となる。

1977年(昭和52年)       第4校舎(鉄筋コンクリート造3階建)8教室、理科室、図工室、図書室を増築。

1978年(昭和53年)       講堂(第2代目:鉄筋コンクリート造)増築。

                     第3校舎(鉄筋コンクリート造3階建)に家庭科室増築。

                     木造本館(旧本館:昭和6年築)取り壊し。運動場再整備。

                     第1校舎(鉄筋2階建校舎:昭和11年築)を管理棟(教職員室、放送室等)へ改築。

                     「鹿ノ下児童公園」「水垣児童公園」完成。

                     児童数増加の為、通学校区変更が市教育委員会より説明、通学区域審査会が結成。

1979年(昭和54年)       全校児童数が、1430名となり、歴代最大の児童数を記録する。

                     (以後、柊野校区変更や少子化により減少し始める。)

1980年(昭和55年)       大宮校区の北部が、「柊野校区」となり「柊野小学校」開校。

                     校舎の夜間管理が、機械管理へ。

1981年(昭和56年)4月1日  氷室分校 廃校。

1985年(昭和60年)4月1日  加茂川中学校内に、大宮学区と柊野学区を対象とする北分校が開設。

1987年(昭和62年)9月1日  北分校が現在地の校舎へ移転。

1988年(昭和63年)4月1日  「京都市立西賀茂中学校」として開校。

                     児童数は、1000人程度となる。

1989年(昭和64年)1月     昭和天皇 崩御 年号 平成の時代へ

                 ~平成期~ へ

おおみや沿革史 ~昭和 前半期~

1927年(昭和2年)   村所有の旧女子師範学校の土地一万坪を、坪単価13円、金13万円で売却。

                木造2階建校舎 4教室を増築。村役場を併せて新築する。

                13万円の半分を村の基本財産として残し、残りの半分ほどで建設費を賄う。

1929年(昭和4年)   講堂(初代)を「昭和御大典」の時の参集所を貰い受ける。御殿風のおくゆかしい趣があった。

                補習学校が実業補習学校に改称。

1930年(昭和5年)   木造2階建校舎8教室、予算3万7千円で増築。

 ※トピックス 校舎の上棟直後(10月31日)突然の暴風の猛襲にあい倒壊する。甚大な損害であり、本来は請負人の責任であるが、人情として気の毒なので、被害の一半を村で補助している。

1931年(昭和6年)4月 大宮村が京都市に編入され、「上京区」となる。

                「京都市立大宮尋常高等小学校」と改称。

                「京都市立大宮実業女子校」を併設。

                木造本館2階建を新築。            

 ※トピックス この事が決定されてから、基本財産の公債や土地を売却し、そのお金で学校の設備の充実を図った。また、本館2階建ての新築し、学校にピアノがなかったので、この時にグランドピアノを購入している。

1934年(昭和9年)7月   プール(初代)開設。

              9月   「室戸台風」の被害で平屋建て校舎が使用不能となる。

1035年(昭和10年)10月 実業補習学校が実業青年学校に改称。

                  児童数は、267名。

1936年(昭和11年)3月  鉄筋コンクリート造2階建(第1校舎)校舎4教室と奉安殿を新築。

                  同時に玄関の前に温室を開設する。

1937年(昭和12年)    大宮小学校の前を市バス9号系統が通る。 

                  「御薗橋」 架設。

 ※トピックス 新設時の経路は、「上賀茂御薗橋」 -「紫竹上竹殿町」 - 「大宮国民学校前」 - 「神光院」 - 「薬師山」 - 「玄琢下」 ― 「鷹ヶ峯(現鷹峯源光庵前)」 - 「千本北大路」。当日の運賃は、

1938年(昭和13年)3月15日 講堂(第2代目)を鉄筋コンクリート造に改築。

※トピックス 講堂を新築する事になるが、京都市の予算は原則木造建築で、木造の予算だけしかなく、「室戸台風(昭和9年)」のとき、西陣校が倒れたのをみて、村では非常の時に全児童を収容できるだけの鉄筋コンクリート造にする必要がある、との声が高くなりました。

しかし、京都市は木造との差額は、地元で寄付金を集めるようにとの事でした。地元負担金は約3万円となる。

このような多額の3万円を区内だけで集めるのは不可能なので、区外に在住の卒業生にも呼びかけて、寄付をつのりましたところ、所要金額の半分以上が集まりました。

これが区内の人達を刺激し、区内の寄付金も予定を超過し建築費だけとおもっていたのが、内部の調度品まで揃ってしまう。

※トピックス 昭和12年5月、「旧愛宕電鉄」から旧講堂(初代)を譲り受けたいとの申し出があり、建築関係の方々によって、審議がすすめられ、非公式に内諾したところ、先方は必要な手続きを経ずに、その大半を運んでしまった。

この事を知った市・府当局で調査が行われ、一時改築の前途に不安が生じましたが、その後、ようやく許可が出ました。

「愛宕鉄道」は旧講堂(初代)の建物を愛宕神社に移し、学校教育の郊外施設として多くの便宜を博しました。

1939年(昭和14年)9月18日  相撲土俵場 建設。

1940年(昭和15年)        児童数は、300名を超える。

『京都市立 大宮国民学校』

1941年(昭和16年)4月1日   国民学校令により「京都市立大宮国民学校」と改称。 

                       太平洋戦争 開戦。

※トピックス 国民学校令 従来の小学校を国民学校(第2次世界大戦中の普通教育機関)と改称。義務教育を初等科6年・高等科2年の8年制とし、教科も「国民科」「理数科」「体錬科」「芸能科」に変更。

1944年(昭和19年)3月      実業青年学校・実業女子校を廃止。

1945年(昭和20年)8月15日  日本が連合国に敗れ、戦争終結。

                      ~昭和 後半期~ へ 

おおみや沿革史 ~明治・大正期~

1873年(明治5年)     京都府愛宕郡(おたぎぐん)大宮村字東紫竹大門村に、「東紫竹小学校」が設立された。

                  場所は、現在の     。

                  校区は、現在の「柏野」「紫野」「待鳳」「紫竹」「鳳徳」「大宮」と広い範囲であった。

1879年(明治12年)    「待鳳尋常小学校」と改称する。

1882年(明治15年)    東紫竹大門村と西賀茂村で、それぞれ学校設立積立講がはじめられる。

                  月60銭の掛金との記録が残っている。

1886年(明治19年)    学校令がひかれ、戦前の学校体系の根幹が設定される。

                  小学校は、尋常と高等の2段階とし、各4学年で尋常・高等をあわせた8年の内、最初の4学年が義務教育となる。

1889年(明治22年)    東紫竹大門村と西賀茂村が合併し「大宮村」となる。

1890年(明治23年)    次第に国家主義重視の教育政策に改められていく。

1903年(明治36年)    小学校での教科書が国定となる。

1907年(明治40年)    義務教育が6ヶ年に延長される。

1909年(明治42年)4月  「京都府女子師範学校」が大宮村に設立される。

                  女子師範学校が設立されると、本校舎はその付属小学校として寄付され、「待鳳小学校」は廃校。

                  その全児童は「京都府立女子師範付属小学校」に吸収される。

                  付属の卒業生が大宮学区におられるのは、この吸収合併が一般には知られていない為と思われる。

1912年(明治45年)    児童増加に伴い再び、「待鳳尋常小学校」を再興新設される。当初は、1年生のみの小学校。

 ※トピックス 現在の大宮学区は、この時代まで小学校はなく、寺子屋の記録も無い。当初は、「待鳳小学校」に通学していた。

1916年(大正5年)     「京都府立女子師範学校」の桃山への移転計画が発表される。

 ※トピックス 大宮村民が猛反対したとの記録がある。

  大正5年9月30日付け 京都日出新聞       大宮村 村民憤慨   女子師範移転について

 愛宕郡大宮村に所在する「府立女子師範学校」の桃山移転計画が、世間一般に伝わるや、同村並びに付近村落民の驚きの一方ならず。

直ちに代表者を選び、知事を府庁に訪問せしめて、その実否をたずね、「陳情書」を知事宛て提出したるが、更に同村民のこの問題に対する態度をなるものを聞くに、驚きというよりも今やその憤慨極度に達し、有力者の中には「切歯扼腕(甚だしく憤慨し、非常に悔しがること。)」、涙をポロポロと流して、極めて強硬なる移転反対の意見を洩らし、近々大挙して府知事を訪問陳情せんとするの模様もあり。

又一面には去る23日、臨時愛宕郡会にて決議したる「同郡立農林学校」校舎及び敷地の全部(約2万円)を府に寄付するの件を取り消さんとて、内々運動の歩みを進めつつありといえば、この問題今後の形勢に到りては俄かに予測すべからざるものありと。

1917年(大正6年)9月10日  大宮村内旧東紫竹大門地域を京都市に編入する理由書が、京都府より公布される。

※トピックス 愛宕郡大宮村 一部編入

 本村の中の東紫竹大門村は、京都市の北部に接続し人家が軒をつらね、一見市と区分しがたく、人情風俗亦(また)同じ。

殊に近年西陣の機業この地方に発展し、人口の増加著しく最近10ヶ年に於いて2倍3分に達せり。

而して編入区域の北部の地域は、稍(やや)広きに過ぎるが如きも、学校用地を以って擬(なぞら)せられ、その発達を見る遠きにあらざるべし。

元来、本村は明治22年町村制実施の始めにあたり、東紫竹大門村と西賀茂村との両村を合併して、大宮村としたるものにして、住古依頼の土囲をもって境を分かち、風俗習慣を異にするの結果、ややもすれば感情のために一村の融和を欠き、互いに反目嫉視(しっし)しその結果行政上困難を感じたること甚だおおし。

故をもってこのさい市部に編入するにあたり、東紫竹大門村の中の一部のみをもってすれば、その残存区域と西賀茂との融和、到底望むべからざると共に、従来の反動として、一層行政上の困難生ずるの憂いあり。

旁(かたがた)旧来の村界より以南の地しなわち旧東紫竹大門村の一村を編入し、「西賀茂」を独立の一村となすは、只に両者の幸福なるのみならず、「西賀茂」年来の希望を達せしむるものなり。

 この公布で御土居以北の大宮村字(田尻・林・開・薬師山・三築(玄琢)・川上・今原・鎮守庵・総門)は、市に編入されない事が判明し、西田作次郎氏を代表に知事や市長に陳情したが、残念ながら市編入の願いはかなわなかった。

 

『大宮尋常小学校 創立』

1918年(大正7年)4月     大宮村の一部が京都市に編入され、「上京区」となる。

                    「愛宕郡(おたぎぐん)大宮尋常(じんじょう)小学校」が創立する。

                    児童数は、概ね100名程度。

 ※トピックス 残された御土居以北の大宮村と西賀茂村とが合併し、「大宮村」と命名され村として運営する事になる。

しかし、戸数300戸の小村となっては、役場や学校を開設して村を経営してゆくには財政的にはほとんど不可能であった。

府も財政的には甚だ困難であることは了解し、京都市に編入された村有地を譲り受けた。

                 

 ※トピックス 大宮村は地域の小学校の新設を企画し、完成までの一年間は、村内の児童の教育を従来の「待鳳小学校」に委託した。

 「敷地を何処にするのか」 西賀茂地区と大宮地区で議論された。そして中間地点となる現在の地に決定されたとの話が伝わっている。

 (40年誌には、現在地に村有の田地があったので、周囲の私有地は他の村有地と交換してもらい、必要な坪数を確保したとある。)

 「校舎」 女子師範学校が伏見へ移転することとなった、付属幼稚園の古い校舎の一部を貰い受け移され、1棟3教室が、(今の農会)のある並びに南向きに建てられた。

 「通学路」 西部の地区より「東に偏っていて不便である」との異論がでて、またまたひともめするが、結局、「開より大宮通り」まで通学道路を新設することで円満に解決した。

 「六段田の畦道を、教科書を風呂敷に包み、腰にくくり登校した」と記録が残る。

『京都府愛宕郡大宮尋常小学校 開設』 

1919年(大正8年)4月1日  「京都府愛宕郡大宮尋常小学校」が、愛宕郡大宮村の現在地に村名をとり開設。

                    2学級編成で(1・2・3年生で1組、4・5・6年生で1組)、先生は3人。

 ※トピックス 第2回卒業生のお話では、「1室に2学級が収容され1人の先生が受け持たれ、全校で先生は3人、生徒は100人ほどでした。」と伝わっている。

 「校舎」 元旦の拝賀式のとき、隙間から寒い風が吹き込み、先生も児童も震えました。

 「校舎は新町頭の女子師範学校から移築した師範付属幼稚園の校舎をもらって移築し、昭和ご大典の参集所をもらって移築したが、あまりタダのものには飛びつかないほうが良い」と逸話が残っている。

 雨が降るとあちことから雨漏りがしてバケツで受けながらの授業となった。

 「雨が降ったらモリ学校。風が吹いたらトビ学校。」と歌われるほど酷い校舎であった。

 「校庭」 「校庭には草がぼうぼうと生い茂り、休み時間には先生と一緒に草むしりをよくしたものです。雨上がりのあとなど、土の中へ足がずりこむので、あの気持ち悪さは何時までも忘れられなかった。保護者は皆でモッコかつぎなどをやって創立に努力した。」と記録が残っている。

 「通学服」 着物にモンペ・履物は藁草履、学用品は風呂敷に包んで腰にくくり付け、袴をつけて通学していた付属の時代と違って、気楽で良いと親は喜んでいた。子供の学習にも無関心で、担任の顔を知らない親もある位のんびりとした、のんきな時代であった。

1920年(大正9年)1月8日    愛宕郡大宮農業補修学校を併設する。

1924年(大正13年)4月1日   高等科(修業年限2年)を併設。

1925年(大正14年)1月25日  氷室分校(西賀茂氷室地区)を開設。

1926年(大正15年)        年号 昭和時代 へ

                    ~ 昭和 前半期 ~ へ

       

『おおみや沿革史』について

『 おおみや 沿革史 』 について

掲載内容は、「大宮小学校」「地域・各種団体」「学区内の出来事」「その他・社会の大きな出来事」などの概略を時系列で記載しています。

時系列区分は、 「明治・大正期」 「昭和 前半期」 「昭和 後半期」 「平成期」 の順番で構成しています。

出展 奥村良一氏編纂 「大宮小学校の歴史」、文化振興会発刊 郷土誌「おおみや」、80周年記念誌「おおみやっこ」、京都市立大宮小学校発行「学校要覧」など

記載内容や掲載の希望などについては、【お問合せ】からご連絡を下さい。